こんにちは。油絵科の関口です。
先週に引き続き、ボッティチェルリの代表作の二点を比較し、何故これだけ違う雰囲気の作品が生まれたのか?検証してみようと思います。先週の記事を読んでいない方はこちらからどうぞ。
http://www.art-shinbi.com/blog/20140908/
大らかな「ヴィーナスの誕生」(左)と、繊細な「春」(右)この二つの違いは一体何に由来しているのでしょうか?
考えられるのは「ヴィーナスの誕生」はカンバスに描かれていて、「春」は板に描かれている。という事です。え?たったそれだけで、そんなに作風に影響が現れるものなの?と思われるかもしれませんが、大いに影響があるのです。
実はテンペラ画でカンバスに描かれている作品というものは非常に珍しく、殆んどありません。ボッティチェルリ以外には同時代の画家、マンテーニャの作品にカンバスにテンペラで描かれたものが数点だけ存在します。(マンテーニャの作品も殆どが板に描かれていますし、同時代の他の画家達は描画材をテンペラから油絵具に移行していきました)
マンテーニャ作「死せるキリスト」(制作年は1480年、1497年など諸説あり)
キリストに短縮法を利用した作品として有名?ですが、技法的にはカンバスの凹凸を利用しながら「かすれ」を使って描いています。
ところで、ボッティチェルリの「ヴィーナスの誕生」は生の麻布(カンバス)に少し厚め(若干布目が見える程度)に石膏で下地が施されています。その上に描かれた表現は、他の作品よりハッチング(線影、線の集積で調子を表す表現のこと)の跡もあまり見えません。
カンバスの目を利用しながら、少し大きめのタッチを使って、薄?く薄?く塗り重ねていったものと考えられます。制作時間は約2年となっていますが、構図にかなり時間を掛けて、実制作には1年に満たない期間だったと思われます。
左手にいる西風の神ゼフュロスの息吹きで、ヴィーナスの髪の毛が靡く様子が大胆なタッチで描かれていますね。
さて、これはどこの部分か分かりますか?・・・そう、まさかのヴィーナスのヘソです(笑)。
あと、海のところの表現を見ると、まるで魚の鱗の様な波模様が様式的に描かれているのが分かります。ガマの描写もかなりシンプルですね。このように「ヴィーナスの誕生」は全体的にザックリ、ゆったりと描かれているのです。
一方「春」は何枚も継ぎ足した板に石膏で下地を施して、平滑に磨かれた画面に描いています。板の継ぎ目や木目などは完全に分からないほど厚く石膏が塗られています。(ちなみにここで言う石膏とは、石膏像や彫刻などで型を取る時に使う石膏とは異なり、水を入れても固まらない「二水石膏」というものです)
「春」はおよそ2年の時間を費やして精魂込めて描き込まれ、かなり気合を入れて制作されています。登場人物も多く、複雑で美しい画面構成と、柔らかく緻密な描写が鑑賞者の心に降り注ぎます。
自分も学生時代に何枚かテンペラ画にチャレンジした事がありますが、数週間掛けて3号程度の作品がやっと…でした。それを考えると300号を越えるサイズのこの作品、たったの2年でどうやって描いたんだろう?と思う程です。
ボッティチェルリの殆どの作品は板絵で、ツルツルに磨かれた石膏地に、時間を掛けて丹念に絵の具を塗り重ねて描かれています。自虐的とも言える制作スタイルを生涯に渡って貫き通したボッティチェルリは、その優雅な作風とは裏腹に、かなりのパワーと忍耐力を持った作家だと断言できます。
ボッティチェルリの作品は日本には滅多に来る事はありませんが、将来フィレンツェにあるウフィッツィ美術館を訪れた時、今回のブログを思い出してもらえたら幸いです。